愛すべき写真機達 五回目(5)は趣向を変えて..珍しい“旧ソ連製”の銀塩写真機のお気に入り・お宝機..を紹介します!
ゆえあって..森に集った写真機達を紹介してきましたが..
今回は“銘機”と云えるか? やや疑問ですが 我が師匠に感化されて沼にはまった? :ロシアン=Russian(旧ソ連)製の写真機達..
に出演して貰います! 尖った機種ばかりですが、付き合ってみればどれもめっぽう憂い奴達です(^_-)-☆
何それ?..とお思いかと思いますが、、普通のお店には流通していなかった為..あまり見かけた事はないと思いますが・・
しかし、あの
ライカや
コンタックス、
ローライ等とは別の.. 海外写真機 “外道”? 知る人ぞ知る..隠れたお宝..とか?
何故ロシアン? は置いといて.. まずはお姿から・・ 良く見ると.. 何処かで見たあのライカ似の一面もありかもです!
ややマニアックな機種ばかりですが..そこはその・・ こんなのも有ったんだ.. で、軽く流して、ご容赦願います(^_^;)
全て、当時の標準タイプ ”レンジファインダー” 機です.. 光学式視差式距離計を内蔵し、もちろんレンズ交換が可能です!
レンズマウントの形式は、それぞれ「コンタックスマウント:バヨネット式」&「ライカマウント:L型ネジ込み式」です。
おっと..最後の1台“ゼニット=Zenit”だけは一眼レフタイプ、、マウントは独自のZenitマウント?ネジ込み式です。
なお…全ての画像はクリックで、大きくなります!
スライドショー.. 流れちゃって..何処が先頭..? 分んないよ~ なので、順に紹介しますね!
1。 1枚目は
”キエフ=Kiev Ⅳ Type2 ”
当時主流の
“レンジファインダー機”で“レンズ交換”が出来ます、
えっ! どっかで見た事が有る?
そう、これはカールツァイス社の
“コンタックスⅡ”型の “デッドコピー機” (そっくりさん)です
こちらがオリジナルの
コンタックスⅡですが、どうです..そっくりでしょ!
当時..エルンスト・ライツ社の
“ライカ”に対抗してNO1の座を争っていた、機種です。
2枚目も.. 同じキエフ
”Kiev Ⅳa Type2”で、
“コンタックスⅢ”型のそっくりさん!..
セレン式の”露出計”が付いているタイプです。
どちらもオリジナルのコンタックスと比べると..エンブレムが ”Kiev” と刻印されている以外は
全くスタイルが同じで見分けがつかない・・
でも..作りが雑.. 操作してみると動きに滑らかさがなくオリジナルとは別物!(@_@)
で、興味の的は、実は本体ではなく、ツアイス社のレンズをコピーした”ジュピター8”他のレンズ
なのですが、これがめちゃめちゃ写りが良い!
2。 3枚目は
Fed2=フェド2
典型的な“バルナック型ライカ”コピー機です、上のキエフほどそっくりさんでないのは訳が有る
のですが、外観はそこそこながら機構部は丸ごとコピーの様です!
フイルム交換は裏ぶたではなく底蓋を外して行う(めちゃやり難い)..は
”バルナック型ライカ”
の欠点までしっかりコピーしているのは笑える(^_^;)
4枚目も
”フェド2=Fed2”です
同じ個体を..寝かせて見ただけですが、何となくバルナック型のライカに似ていますね?
軍幹部(上面の機構部)がすっきりし過ぎています..
茶筒をつぶした様な鉄板を丸めたボデーの作りも同じだ・・
そのせいか「底蓋を外してフイルムを落とし込む」悲惨な充填方法もそっくり同じです。
3。 5枚目は
”ゾルキー4=zorki4”
これもバルナック型ライカのコピー機ですが、ファインファー窓がとても大きいのが特徴です
おかげで明るいファインダーで距離(ピント)合わせがやり易く、オリジナルより進歩してる?
バルナックライカと同じ様な位置に「視度調節機構」(遠視/近眼の補正機構)も装備していて..
あの時代に..老眼にも優しい優れた逸品かも?
4。 6枚目は
”ゾルキー6=zorki6”
大勢さんですが良く見ると、エンブレムの書体などで分る様に、型式に若干の違いがあります
もちろんレンズ交換式なので、装着しているレンズが違います、ここでは説明を省きますが、
手持ちのロシアン機の中では、一回り小型で扱い易く、最も使いやすい機種で・・
これならコピー機でなく、オリジナルのゾルキー=zorkiと云っても良いほど完成されています。
外に持ち出す機会の多い機種でした!4台も増殖したのはそのせいです(^^♪
5。 7枚目は
“ゼニット=Zenit”
珍しい..小さな一眼レフです、面白いのはファインダーで..フイルム巻き上げでシャッターが
チャージされるのは普通ですが..
シャッターを切った途端に..目の前が真っ暗!俗にいうブラックアウトです・・(^^♪
視界が戻るのは次にフイルムを巻き上げた後です、この当時のミラーのあるレフレックス式
の写真機ではしごく当たり前の機構ですが、今の一眼!に慣れていると面喰いますよ(^_^;)
※最後に、何故に旧ソ連で
コンタックスや
ライカのコピー機がたくさん製造されたのか?
当時の写真機:先進国はドイツでありメーカーではライカのエルンスト・ライツ社やカールツァイス社、ローライ社などが
抜きんでていて
日本を含め各国の写真機メーカーは、こぞって各社の先端機種を模造し..追従し技術の向上を競っていた時代です・・
ところが、第二次世界大戦でドイツは敗れ、カールツアイス社がある地域が、ソ連軍に占領されたために、技術者達は
もとより材料(レンズ用の特殊なガラス材料を含む)設備、製品/半製品まで、ことごとく持ち去らされてしまったのです。
その後キエフなど複数の地区でドイツ時代と同じ光学工業が復元?され、持ち出した設備と材料と技術者で、写真機や
レンズの生産がはじめられたのです、さすがに名前は換えられましたが・・仕様は過去機のそれを継承!
材料も設備もそのままなので、最初の頃の製品は、戦前のドイツ製と変わりない高い品質が得られていたと云います・・
:ちなみに手持ちの標準レンズ “ジュピター8 50mm f2” は現在でも名門のカールツアイス社の銘玉“ゾナー”のコピー品とされ、
ライカマウント版とコンタックスマウント版の両方を保有していますが、どちらも現在のレンズに負けない素晴らしい写りです!
その後、国産化?が進むにつれて、良質な材料等が確保できず、品質が維持できなくなっていったと云います、・・
品質が下がりながらも、機種バリエーションを拡大して、コンタックスやライカベース機やそのコピー機などを作り続けた・・
これが、ソ連製のコピー機が世界中に広まった理由の様です・・ その間に技術派生した、オリジナル機も多数作っていた。
登場した機種はコンタックスはデッドコピー品ですが、他の機種は、ライカベース似ているがオリジナルとも言えますね(^^♪
日本でも日本光学やキャノンが、同じ様にコピー機を作って追いかけるも、結局追い付けず、レンジファインダー機を諦めて
旭光学を先頭に一眼レフへ転身し・・ 結果的に世界をリード..一眼レフ&写真機工業..世界一に成長したのはご存じの通り・・
なおここにあげた個体は全て、試写済みの完動品です、久しぶりに、持ち出してブラ撮りしたいな~と思っています(@^^)/~~~